踊 正太郎先生と三味線の出会い①〜祖母がきっかけとなり始めた三味線〜

(演奏:津軽じょんがら節でスタート)

<司会>
先生が三味線に出会って、どのように演奏者の道に進まれたかを教えてください。

<踊先生>
私は、3歳の時に初めて三味線に出会いました。3歳の誕生日に祖母から貰った小さな三味線を音の出るおもちゃだと思って、夢中でかき鳴らしていました。祖母が踊りを教えていたので、その傍で民謡や三味線のレコードを聴くことが大好きで、それが楽しみの1つでした。本格的に津軽三味線の稽古を始めたのは、6歳からですね。
小学校から高校までは、茨城県水戸市にある県立の盲学校に12年間通っていました。盲学校は全寮制のため、寮に入ると自由に三味線の稽古ができなくなってしまいます。私は稽古を続けたかったので、12年間、バスと電車を乗り継いで、1時間半程かけて自宅から通学しました。
そして、高校2年生になり、将来の進路を決める時が来ました。当時は、目の見えない人の職業は、マッサージや鍼、灸と決まっていました。しかし、私は初めから決められた道を生きていくことに疑問があり、卒業後は三味線で別の生き方をしようと考えました。16歳で初めて全国大会に出場し、1000人程の大人に混じって演奏し、優勝をしたことが演奏者を志す大きなきっかけとなりました。今思えば、三味線の道に進んだ動機は本当に単純で、自分でも若かったなぁと恥ずかしく思います。それ位、どうしてもやりたいものでした。

<司会>
学校で反対されたりはしませんでしたか?

<踊先生>
反対されました。学校の進路相談では三味線一筋の生き方を強く引き止められ、何度も話し合いました。しかし、この頃は本場で勉強したいという一心で、高校卒業後は津軽三味線の本場、青森県・弘前市で1人暮らしをして、津軽三味線の第一人者・山田千里先生に弟子入りしました。そこで自信を得て、現在まで活動を続けています。
『踊 正太郎』という名前は、三味線のきっかけをくれた祖母の「よう」という名前を貰っています。踊りの先生をやっていたので「踊」という字をあてました。



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