踊 正太郎先生と三味線の出会い②〜耳でまねて修行〜

<司会>
先生は、音だけで津軽三味線を習われたと思いますが、どのように学習されたのでしょうか?

<踊先生>
6歳で津軽三味線を始めた時は、手取り足とり教わりました。もちろん、手取り足とり習うことも大事ですが、三味線は「物まね上手は上達が早い」といわれ、先生の手を見て、見よう見まねで自分なりに真似をして上達していきます。私の場合は、先生の手を見ることができないため、とにかく耳で物まねをしましたね。耳にタコができる以上に、昔の三味線奏者の演奏を何回も、何回も聴きました。
また、津軽三味線はもともと民謡の伴奏楽器ですから、その民謡が生まれた土地にも行きました。例えば、「じょんがら節」は、青森県の黒石というところで生まれた曲です。青森県黒石には浅瀬石川(あせいしがわ)という川があります。そこで昔、戦いがあって、常緑(じょうえん)という和尚が負け、川に身を投げたことが由来となり、常緑河原(じょうえんがわら)と名付けられました。この悲劇を曲にしたのが「じょんがら節」です。常緑河原が訛って「じょんがら節」となっていったようです。そんな由来を確かめながら、研究して覚えていきました。

<司会>
山田千里先生のところでは、どのような気持ちで修行をされていましたか?

<踊先生>
師匠からは3年間、教えて貰うことはありませんでした。「見よう見まねで、盗んで覚えなさい。人のものを自分のものにしなさい」と。ですから、師匠や周りの兄弟弟子の音を聞いて必死に稽古しました。1年に1回位、師匠から「正太郎、ここが良くなった」といって貰えるのが嬉しくて。ただ、その言葉を聞き逃さないように、集中して修行しました。



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